Miwa Komatsu

「マンダラの中の黒曜石――小松美羽論」
安藤礼二(多摩美術大学教授), 2022年

  • 『小松美羽 Transparent Chaos ― 霊性とマンダラ ―』(求龍堂)

神獣たちとともに根源の世界へ

小松美羽は神獣たちを描き、神獣たちを造形してきた。小松にとって神獣たちは、単なる表現の対象ではなかった。神獣たちは生きていた。神獣たちは小松を、世界の根源にして根源の世界へと導いていった。神獣たちに導かれてたどり着いたその世界を、小松は「霊性とマンダラ」と表現した。
川崎市岡本太郎美術館で、二〇二二年六月二五日から八月二八日まで開催された小松美羽の個展、「岡本太郎に挑む――霊性とマンダラ」は、これまでの小松の仕事の集大成であるとともに、そこからさらに未知なる表現の未来、表現の未知なる世界を切り拓いていくものとなった。その未知なる世界を霊性と名づけ、マンダラとして造形することで、小松は、現代日本芸術史であると同時に現代世界芸術史の上に、確固たる位置を占めることになった。
霊性とマンダラは表裏一体の関係にある。今日において、霊性は「スピリチュアリティ」の翻訳として用いられることが多い。しかし、もともとは大乗仏教の東方的な展開、つまりは中国大陸から朝鮮半島を経て日本列島へと至る展開のなかで用いられるようになった特異な言葉にして特異な概念だった。そのような歴史的な意味を踏まえた上で、霊性という言葉にして概念を現代的に読み替え、現代的によみがえらせたのが、禅の導師としてその諸著作がいまだに世界中で読み続けられている鈴木大拙であった。 大拙が現代芸術に与えた影響はきわめて広く、また同時にきわめて深い。音楽家のジョン・ケージ、ケージを介してナム・ジュン・パイクやヨーゼフ・ボイス、そして現代の美術家たちへ。さらにはケージと同時代の文学者たち、「ビートニクス」を領導した小説家ジャック・ケルアックや詩人アレン・ギンズバーグ、J・D・サリンジャーを介して現代の小説家たちへ。皆、大拙の講義を聴き、その著作を読んでいたのだ。そうした大拙の営為を貫くのが霊性という言葉にして概念だった。
霊性は二つの分断されてしまった世界、精神と物質、内部と外部、有限と無限等々を、二つであるがまま一つに結び合わせる。二に一としての総合を与える。二という分断を乗り越えて、一として再生する。そのような働きをなす。大拙は、霊性という特異な言葉にして特異な概念を全面的に展開した、日本語を用いて書き上げられた代表作、『日本的霊性』のなかで、そう語っている。禅が可能にする体験、主客未分の境地をあらわす言葉にして概念でもあった。小松美羽は、鈴木大拙が使っているまさにその意味で、自身の表現世界が目指すものこそが霊性であると言うのである。
小松美羽は、霊性を用いることによって、鈴木大拙の系譜に連なる。現代芸術に対して大拙が与えたものを、自ら意識的に担っていこうとしているのである。それは単に表面的な類似、霊性という言葉をたまたま借りただけというようなものではない。より本質的なものである。なぜなら、小松は、霊性という理念を最も体現する表現としてマンダラを選び、その可能性を描き尽くそうとしているからだ。現在の大乗仏教研究によれば、霊性という言葉にして概念が生み落とされたのは、大乗仏教のなかに生じた大きな対立を一つに調停する過程においてであったと推定されている。大乗仏教において、相互に対立する二つの巨大な潮流、「空」を主張した中観派と「識」を主張した唯識派の主張を一つに総合していこうとするなかで「如来蔵」の思想が可能となり、それとともに霊性という理念もまた生み落とされていったのである。
如来蔵――すなわち、有限の存在のなかに無限の存在、如来となる可能性があたかも胎児のように孕まれているという考えである。あるいは、人間をはじめ森羅万象あらゆるものは、自らの「心」の奥底、「識」の根底であるアーラヤ識にまで降り立ったとき、そこに無限の可能性を秘めた「空」が広がっている、という考えでもある。無限の「空」とは同時に、そのなかからさまざまな色彩や形態を生み出す「光」のなかの「光」でもある。根源的な「光」から、無限の度合いをもった無限の「光」が生み出され続けている。そのような世界の在り方を表現したものがマンダラであった。霊性によってマンダラがひらかれ、それゆえにマンダラは霊性の表現になっているのである。
如来蔵の思想は、言葉にすることができない「秘密」(神秘)の体験を通して、有限の人間が、自らの内に孕まれた無限の如来と一体化するという、密教という教えとして一つの完成を迎える。「秘密」の体験を可能とするものがマンダラであった。宇宙的な母胎からの万物の発生を描いた胎蔵マンダラと、その万物、つまりは世界の絶えることのない変容を描いた金剛界マンダラと、そうした二つのマンダラの間で、瞑想を通して、二つのマンダラを一つに結び合わせることで、有限の人間は、そのあるがまま、無限の如来となることができるのである。
二つに分断されたものを一つに結び合わせる、そのような霊性の思想、マンダラの思想こそが、極東の列島に固有の「習合」の思想、「習合」の宗教にしてその文化を可能にした。神道と仏教、神懸かりの神道と如来蔵の仏教が一つに結び合わされるのだ。そこに立ちあらわれるのは超未来的な光のネットワークであるとともに超古代的な、原型的な人間たちが行う狩猟採集にもとづいた物質のネットワーク、黒曜石のネットワークにしてアニミズム的な神獣たちのネットワークでもあるだろう。霊性は時間的な隔たりと空間的な隔たりを無化してしまうのだ。その地点に、神道や仏教という枠にはとらわれることのない神事、つまりは聖なる技芸(アート)として成り立つ、森羅万象あらゆるもののもつ力を創作において一つに結び合わせる小松美羽の「奉納」(ライブペイント)としての芸術がもつ可能性もまた秘められている。
実に若き鈴木大拙が、グローバリズムの中心地、アメリカで、英語を用いて最初にまとめたものこそ、如来蔵思想の核心を最もコンパクトにまとめた『大乗起信論』の英訳であった。さらに、自身が英訳したその『大乗起信論』を構成する諸概念を整理し、東方に展開した大乗仏教のもつ可能性を、世界に向けて発信したのが、大拙の最初にして最大の英文著作、『大乗仏教概論』となった。大拙は、その生涯を通して、分断された二つの世界を一つに結び合わせる「霊性」のもつ可能性、つまりは「如来蔵」のもつ可能性を説き続けた思想家だった。そのような大拙の営為に最も早く反応し、最も熱烈に賞賛したのが、後に大拙のパートナーとなるアメリカに生まれた一人の女性、ビアトリス・アースキン・レーンであった。
これまで、大拙の風変わりなパートナーとしてのみ考えられてきたビアトリスは、密教(チベット密教)の教えを現代的によみがえらせ、抽象表現の起源に直結する神智学を信奉していた。神智学の教えと深く共振し、交響するものとして大拙の著作を読み込んでいたのである。結婚した後は、大拙が英文で著作を書き進める際の協力者となった。二人の共同作業は、文字通り西洋と東洋を一つに重ね合わせることに他ならなかった。マンダラは霊性であり、霊性はマンダラであった。近年になってようやく、カンディンスキー以前に存在した、真の意味での抽象画の起源と位置づけられるようになってきたスウェーデンに生まれた神秘主義的な画家、ヒルマ・アフ・クリントもまた神智学を信奉する女性であった。密教のマンダラこそ、現代的な抽象表現の起源に位置していたのである。ビアトリスも、そのような女性たちのネットワークの一つに中心に位置していた。
「霊性とマンダラ」という理念によって自らの作品世界を体現させた小松美羽は、霊性によって鈴木大拙の系譜に連なるだけでなく、マンダラによって大拙のパートナー、ビアトリスの系譜、つまりは抽象表現の起源にも連なっているのである。それが、小松美羽が占める、現代日本芸術史にして現代世界芸術史における未曾有の位置である。ビアトリスへとつながるマンダラの系譜、神智学の系譜を簡単にまとめておく。世界が文字通り一つに結ばれ合った近代という時代に、マンダラによって体現される密教は、世界芸術、抽象表現の一つの起源として再生した。ロシア領内で唯一、密教を奉じていた遊牧民、カルムイクのごく近くで生活していた一人の女性、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーによって、森羅万象あらゆるものは如来となる可能性を胎児のように孕んでいると説く密教の教えは、無神論と一神論と多神論を一つに結び合わせる新たな世界宗教、神智学としてよみがえった。「心」を通して、世界の根源としてある一なる無限と、その表現として可能となる多なる有限は、一つに重なり合う。「一」を強調するならば一神教となり、「多」を強調するならば多神教となり、「無」(無限)としての「心」を強調するならば無神教としての仏教となる。世界は多様でありながら一つなのだ。それゆえに、異なったもの同士、異なった宗教同士の間での対話もまた可能となる。小松美羽が、作品を創作することで実現を目指している聖なるもとの対話、その結果として実現される世界の調和と、主張において異なったものではないはずだ。
神智学は、有限の人間であっても、自らの内なる無限に触れ、その無限を表現することができると説いていた。あらゆる形態、あらゆる色彩、あらゆる感覚は、自らの内なる無限から生み落とされる。ブラヴァツキーおよびその流れを汲む人々――そのなかにはルドルフ・シュタイナーも含まれる――の残した書物に震撼させられた芸術家たちは、自らの心のなかを探り、無限を表現することを願った。ワシリー・カンディンスキーやカジミール・マレーヴィチの抽象表現が生まれてくるのは、その地点からだった。物資的な三次元では捉えきることができない精神的な四次元をひらく。現代のマンダラは、疑いもなく、まずは女性たちによって担われた。ブラヴァツキーとその教えをインドで展開したアニー・ベサント、そしてブラヴァツキーとベサントの書物を読み込んだヒルマ・アフ・クリントとビアトリス・アースキン・レーン。
鈴木大拙は、物質と精神の対立を乗り越える理念として霊性という理念を提起した。そのパートナーとして、ビアトリスが存在していたことを考えるならば、霊性とマンダラは別のものではない。霊性は、物質と精神のみならず有限と無限、男性と女性、人間と森羅万象等々、あらゆる分断を乗り越えていくための理念でもある。「Great Harmonization」(大いなる調和)を自らの創作の理念とする小松美羽が、「霊性とマンダラ」という主題のもとで、表現の新たな地平に出て行こうとすることは、偶然ではなく必然であった。霊性としてのマンダラ、マンダラとしての霊性は人類の表現の未来を切り拓き、人類の根源にして人類の普遍を切り拓く。
小松美羽は、自ら「霊性とマンダラ」と名づけた舞台の中心で、あらためて現代のマンダラを描き、黒曜石による二重螺旋をその中心に置き、無限の可能性をそのなかに秘めた胎児としての生命、あらゆる動物の可能性、神獣の可能性、精霊の可能性を秘めた生きた神話を、その作品として定着させようとしている。そこにはこれまでの小松美羽の歩みと、これからの小松美羽の歩みのすべてが、おそらくは萌芽の状態で孕まれているはずだ。芸術は宗教や哲学と別のものではない。人間の根源に到達できるとともに、人間に普遍をもたすことを可能にする。ローカルであることとグローバルであることの差異が消滅する。マンダラを介して黒曜石と抽象が共振し、交響する。新たな時代の新たな芸術が、いまここから始まる。それでは一体なぜ小松美羽はマンダラの中心に黒曜石を据えなければならなかったのか? そのことによって現代のマンダラをどのように展開していこうとしているのか?

なぜ黒曜石であったのか?

小松美羽は二枚の巨大なマンダラを描き、その中心に、無数の黒曜石によって形づくられた二重螺旋を置いた。なぜ、黒曜石であったのか?
黒曜石は、大地そのものの運動、マグマが急速に冷やされることで形成された天然のガラスである。大地の炎、地球という惑星を可能とした自然の力が結晶化したものである。そしてまた、人類が手にすることができた、はじまりの道具にしてはじまりの芸術作品の素材の一つとなったものでもある。
今日の考古学、DNAとゲノムの解析にもとづいた考古学は、人類、ホモ・サピエンス(新人)が二〇万年ほど前にアフリカに生まれたことを明らかにしてくれている。直立二足歩行をはじめてから七〇〇万年、大地に立ち上がった霊長類たちはさまざまな試行錯誤、種の変化を繰り返した末、やがてホモ・サピエンスが生まれた。最も近い種であったネアンデルタール(旧人)と分岐したのが六〇万年ほど前、ネアンデルタールはアフリカを出て、ホモ・サピエンスの祖となる種はアフリカに残った。ネアンデルタールのゲノムとホモ・サピエンスのゲノムは、その間に互いに大きく異なるものとなっていったという。
ホモ・サピエンスがアフリカを出て、一気にユーラシアの全土に広がっていったのが六万年から五万年前とされている。ネアンデルタールたち(そのなかには近年あらためて認定されたデニソワ人を含む)と交雑を繰り返しながら、つまりはそのDNAをわずかではあるが現在に伝えながら、ネアンデルタールたちは滅び、ホモ・サピエンスだけが残った。この地上に存在する人類は、ホモ・サピエンスただ一種のみである。肌の色がいくら違おうが、体型や体毛や瞳の色がいくら違おうが、みなホモ・サピエンスである。
アフリカを出た人類が極東の列島、この日本にはじめて足を踏み入れたのは四万年ほど前だったと考えられている。大陸そのものを可能とした火山の運動がいまだに続いているユーラシア東端にあたる島々に到達した人類が手にしたのが黒曜石であった。人類は、黒曜石を求めるために、はるばる海を渡たることができた。このとき、人類はすでにオセアニアに到達していた。人類は未知なる大地を求め、大地に眠る自然の宝を求め、海を渡り、移動を続ける動物だったのである。人類の黒曜石をめぐる旅は、オセアニアの極であるラパ・ヌイ(イースター島)、メソアメリカに築かれた「石器」の帝国、マヤやアステカにまで続いていく。この列島を訪れた最初の人々と無関係ではなかった。
人類がたどり着いたこの列島のなかで黒曜石をほとんど無尽蔵にそのなかに秘めていたのが北海道の山々であり、小松美羽の故郷、長野の山々であった。黒曜石を打ち割り、形を整え、獲物をとるための道具に仕上げていくためには、大地の力の結晶である石そのもののもつ構造を深く理解するとともに、その構造、あるいはその構造を利用した技術を自ら記憶し、他者に過不足なく伝えることができなければならなかった。アフリカを出た人類には、すでにその時点で、今日とほとんど変わることのない言語能力を備えていたと考えられている。極東の列島で、黒曜石を磨き上げていた人類は、同時期にオセアニアの海を渡り、ヨーロッパの洞窟のなかには優美で華麗な動物たち、さらには「抽象」と評することしかできない幾何学的な文様を壁画として刻みつけていた。
つまり、人類とは、未知なる大地を求めて移動し、海を渡り、言語を話すとともに芸術作品を作り続けた動物であった。黒く深い闇のなかで透明に輝く黒曜石の石器たちは、そうした事実を証立ててくれている。世界はもともと一つだったのだ。いまあらためて黒曜石を用いて芸術作品を作り上げていくことは、「一」なる人類、「一」なる地球を認識することに他ならない。人類が人類であることを認識することに他ならない。それこそが、グローバリズムがきわまったこの現代を生きる芸術家の条件でもある。小松美羽の故郷は、同時にこの列島にたどり着いた人類の故郷でもあった。小松美羽は、これまで、地球をはじめて「一」なる球と把握することが可能になった「Earth Shot」の時代に時代に芸術は何を表現しなければならないのかを考え続けてきた。その彼方に出ていくために、いま、その起源にさかのぼったのである。はるかな未来とはるかな過去が、小松美羽の新たな作品群のなかで通底されようとしている。
この列島にたどり着いた人類は、厳しい氷河期を生き抜くとともに、氷河期が終わり、地球が温暖化し、農耕が可能になった後も長く、黒曜石の道具にして黒曜石の芸術作品を作り続け、使い続けていた。青銅器や鉄器など、いわゆる金属器が伝えられた後までもしばし、黒曜石は使われ続けた。日本の考古学における伝統的な時代区分にもとづけば、旧石器、縄文、弥生のなかばに至るまで、黒曜石は使われ続けるのである。極東の列島において、弥生は現代の都市生活に直結する文化であり、おそらくその起源は列島の外に位置づけられる。日本列島に住み着いた人類は、その大部分を黒曜石とともに過ごした。人類の起源に結びつく道具を使い続けた。それは、動物たちとともに生きた、ということでもある。黒曜石は、なによりも狩猟のための道具として用いられたていたからだ。動物たちを狩るためには、狩る側もまた動物に似た存在に、あるいは動物そのものへ変身しなければならなかったからだ。地球の温暖化によって農業が可能となった後も、黒曜石を使い続けた列島の狩人たち、起源の人類の血を保つ続けた者たちは、動物たちとともに生き続けること、狩猟採集にもとづいた生活をやめることがなかった。逆に、そうした生活を洗練させていった。その結果としてかたちになったのが縄文の文化であった。
小松美羽の故郷である長野、特に八ヶ岳周辺は、旧石器の文化の中心であるとともに縄文の文化の中心でもあった。黒曜石は、旧石器と縄文を連続する一つの文化として考えることを可能にする。長野の縄文、特に中期に位置づけられるその土器には、イノシシをはじめとする動物たち、カエルやヘビやシカたち――小松美羽の作品のモチーフでもある――とともに、人間の胎児を思わせる顔や身体も造形されていた。人間と動物たちは互いに近く、もっと言ってしまえば、一つのものであった。小松美羽は、これまでただひたすら神獣たちの像を描き、造形してきた。おそらく、それは、人類の古層へと連なる自らの無意識に忠実に従ってきたから、であろう。重要なのは人間ではなく、人間をそのなかから生んだ動物たち、聖なる動物たちだったのだ。小松美羽は言う。制作において、人間的な「私」など重要ではない。「私」は、そのなかに動物たちの魂、人間と動物に共有される精霊たちの魂を受け容れる器に過ぎない。「私」を通して、動物たちが、精霊たちが表現するのである、と。
小松美羽は神獣たち、精霊たちとともに生き続け、表現し続けてきた。しかしながら、そうした小松美羽の表現世界は、現代のこの列島では、残念ながらいまだ特異に映る。神獣たちの自由な生が奪われ、人間たちに従属させられてしまっているからだ。黒曜石の忘却、狩猟採集を中心に据えた生活の忘却とともに、神獣たちとともに生きた生活もまた忘却されてしまった。小松美羽は、そのような神獣たちの現状を敏感に感じ取り、自らの身体を表現の器として、神獣たちの魂を、精霊たちの魂を、解放させようとしている。そのために、いまここで新たな黒曜石が、縄文土器の起源にして人類の起源にもつながる黒曜石が必要とされたのである。それはまた、行き詰まった現代のグローバリズムを突破し、動物たちとともに生きた「一」なる人類の営為を回復する試みでもある。未来を切り拓いていくためには、その根源にあらためて戻る必要がある。自らの故郷に、人類の故郷に戻らなければならない。それでは一体なぜ、黒曜石は二つのマンダラの中心に置かれなければならなかったのか? なぜマンダラでなければならなかったのか? そしてそのマンダラはいかにして現代につながり、未来を切り拓いていくのか?

なぜマンダラだったのか?

旧石器、縄文、弥生と、この列島に住み着いた人々は黒曜石を使い続けた。黒曜石は、文字通り大地のなかで育まれた自然からの贈り物であった。人間は、自然からの贈り物である鉱物を磨き上げて道具とし、その道具を用いて、同じく自然からの贈り物である植物を採集し、動物たちを狩猟した。人間もまた自然のなかから生まれ、それゆえに自然とともに生きることが可能であった。鉱物と植物と動物、そして人間たちは皆等しく自然の産物であった。森羅万象ありとあらゆるものは一つにつながり合っている。この極東の列島を生き抜いた人々のなかには、おそらく、そうした感覚がいまでも生き続けている。そうした感覚を表現の理論にして表現の倫理にまで高めたのが、マンダラという理念にしてその造形をはじめてこの列島に将来した空海だった。空海は奥深い山に籠もり、その山がもたらしてくれる感覚、山のなかで森羅万象あらゆるものへと、すなわち自然そのものへとひらかれてゆく感覚に言葉を与えてくれたのだ。黒曜石に体現される自然の力を、芸術を生み出す舞台にして装置としてのマンダラとして組み立て直してくれたのである。
空海はマンダラに入るための条件と、マンダラのなかで体験することを、詩のかたちを用いてあらわしてくれている。マンダラに入るためには、森羅万象ありとあらゆるものが自然の――宇宙を生み出す力であるとともに宇宙そのものでもある「法身」大日如来の――表現として、その言葉として存在していなければならない。「声字実相義」のなかで、空海は、こう歌ってくれている。

  五大に皆響き有り
  十界に言語を具す
  六塵悉く文字なり
  法身は是れ実相なり

地、水、火、風、空からなる「五大」はみな響きを、すなわち声を発している。
如来、菩薩、縁覚、声聞、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄からなる「十界」はそれぞれの世界に固有の言語を具えている。 色、声、香、味、触、法からなる「六塵」はことごとく文字としてあらわされる。
それらすべてを生み出すものこそが「法身」であり、その「法身」こそが唯一にして真に存在するものなのである。

森羅万象あらゆるものは自然、すなわち「法身」から生み落とされ、それゆえ「法身」の表現となっているのである。そのような「法身」、万物の母としての自然と一体化するための舞台にして装置、巨大な一つの芸術作品こそが、金剛界と胎蔵(界)の二対からなるマンダラであった。それでは、そのマンダラのなかに入ったとき、「法身」と一つになったとき、人間はどのような世界を感知するのか。あるいは、どのような世界のなかに再生するのか。「即身成仏義」のなかで、空海は、こう歌ってくれている。

  六大無碍にして常に瑜伽なり 体
  四種曼荼各離れず 相
  三密加持すれば速疾に顕る 用
  重重帝網なるを即身と名づく 無碍

宇宙を成り立たせている地、水、火、風、空という五つの物質の相と、識という精神の相からなる「六大」は互いになにもさえぎるものがなく、つねに一つに融け合っていて、永遠である。その在り方、「六大」こそが法身の本体を形づくる。
大曼荼羅から羯磨曼荼羅、世界を抽象的なレベルから具体的なレベルまで表現する四つの曼荼羅は互いに離れることなく一つに重なり合っている。その有様、「四曼」こそ、法身がさまざまなものへと変容していく諸相をあらわす。
法身の「三密」、つまりは身体、言葉、意識と衆生――マンダラに入るごく普通の人間たち――の「三密」、身体、言葉、意識が互いに触発し合って一つに結ばれ合うことで、いまここで速やかに覚りの世界が顕れ出でてくる。そうした結合を可能にする「三密」こそが法身のもつ作用である。
そのような世界で、ありとあらゆる身体が、帝網、つまりはその結び目の一つ一つに透明に光り輝く宝珠が吊り下げられたインドラ神(帝釈天)の宮殿の天井に張りめぐらされた網のように、互いにイメージを映し合い一つに融け合うことこそが「即身」と呼ばれる。森羅万象あらゆるものが「無碍」、さえぎるものが何もなくなった世界こそが、私たちが法身として生きる世界である。

マンダラとは、「私」の内部に広がる無限(「法身」)と「私」の外部に広がる無限(「法身」)を一つに通底させる舞台にして装置、芸術作品である。マンダラを通して、人間は森羅万象あらゆるものに変身することが可能となる。動物、植物、鉱物に共通する自然の力そのものに触れ、自然の力そのものとなることができる。そのとき、この「私」もまた、森羅万象あらゆるものを共振し、交響させる舞台にして装置、芸術作品そのものになることができる。旧石器時代の狩人たちにして芸術家たちが生きたのも、マンダラが可能にするそのような世界であったはずだ。マンダラは、人類の遠い過去を、人間の根源にして自然の根源を、いまこの場によみがえらせてくれる。
しかし、それだけではない。空海がこの列島にもたらしてくれたマンダラは、人間の言葉では表現することができない「秘密」(神秘)の体験のうちで、森羅万象あらゆるものを産出する母胎としての自然、無限の存在である「法身」大日如来と、この「私」、有限の人間であるこの「私」が一つになることができると説く、大乗仏教の究極にして、大乗仏教を乗り越えた金剛乗としての「密教」の教えを体現するものであった。「密教」が広がったのは極東の列島である日本だけに限られていたわけではない。インド、中国のみならずチベット、そのチベットを介して中国東北部(満州)の遊牧民たち、モンゴルの遊牧民たち、ロシア領内のカルムイクと呼ばれる遊牧民たちの間にも広がっていった。「密教」は、無限である「一」なるものから森羅万象あらゆるもの、つまりは「多」が生み落とされ、それゆえ「一」(無限の存在)と「多」(有限の存在)は等しい、有限のなかにこそ無限が孕まれていると説く教えでもあった。
だからこそ、最も新しい世界宗教である神智学ともなったのである。小松美羽のマンダラは神智学的な運動と平行し、共振しながらも、それとは異なったもう一つ別の、より豊饒な可能性に満ちた霊性の未来を切り拓こうとしている。ローカルであることを徹底的に突き詰めることでグローバルを乗り越えていこうとしている。内的な宇宙を突き詰めることで、外的な宇宙に出ようとしている。それがよくわかるのが、東寺に奉納される予定である二対新たなマンダラが吊り下げられた部屋の壁面に再構築された「エリア21」(Area21-Whole Earth)である。その背景にはバックミンスター・フラーが構想した「ダイマクション・マップ」に、黒曜石が産出される小松美羽の故郷、長野の和田峠が描かれた伊能忠敬制作の『大日本沿海輿地全図』の一部が拡大されて重ね合わされている。故郷を深く掘り進めることで地球の外に出て、そこから地球の全体を捉え直すのである。
「ダイマクション・マップ」は、地球全体(大陸と海洋)を、正二十面体の展開図の上に、一枚の地図として描き直したものである。正二十面体は、五種類存在する正多面体のうち、その構成数が最大となったものであり、いわば完全な宇宙を意味している。小松美羽は、自らの故郷を、その完全な宇宙と重ね合わせ、さらにそこに神獣たちを解放するのである――フラーの「ダイマクション・マップ」は、ロバート・ラウシェンバーグを介してジャズパー・ジョーンズの作品としても昇華されている(飛鷹全法の所論より)。フラーが教鞭を執っていたブラック・マウンテン・カレッジではジョン・ケージも学び、教えていた。またフラーの源泉にはラルフ・ウォルドー・エマーソンがおり、エマーソンの東洋思想、その超絶主義を若き鈴木大拙は愛読していた。霊性の系譜は決して閉ざされることなく、開かれ続けているのである。小松美羽は、そのような近代的な霊性思想の歴史を把握した上で、それを時間的にはより古代、空間的にはより外部(無限)へと切り拓いていこうとしている。そこに小松美羽の唯一無二の立ち位置がある。近代的な「霊性とマンダラ」を、超古代的にして同時に超未来的な「霊性とマンダラ」として再生させるのである。
それでは、そのマンダラ、さらにはマンダラを引き継いだ新たな画面には一体何が描かれようとしているのであろうか?

霊性の未来、象徴と抽象の未来に向けて

「霊性とマンダラ」展は、小松美羽の表現とその生涯を、原点から現在に至るまで、年代を追って理解することができるような構成、図録の目次に従えば全Ⅴ章からなる構成をとっている。各パート、各章には飛鷹全法の手になるきわめて示唆的なテキストが付せられており、それを読むだけでも小松美羽という特異な表現主体の成立とその変容を追っていくことが可能となる。
第Ⅰ章は、「描線との出逢い:死、自画像、エロティシズム」と題され、小松の原点としての、絵本を介した描線との出会いが語られ、その影響から制作がはじめられた銅版画を中心とした初期作品群が集大成されている。まだ色彩はない、あるいは、ほとんどない。しかし、表現の内的な欲望が、早くも獣たちの姿をとってあらわれ出てきていることが最も大きな特徴であろう。小松の主題はきわめて一貫している。「私」の個人的な欲望から描き始められてはいるが、その「私」が、いつの間にか消え去ってしまう。目に見えない内的な欲望、同じく目には見えない外的な精霊たちを宿らせる容器としての「私」、そうした不可視の存在たちを可視化し、現実と重なり合いながらも異なったもう一つ別の世界を映し出すプリズムとしての「私」が立ち現れようとしている。しかし、そのためには銅版画という手法から外へ出て、銅版画という技法、その型を破棄しなければならなかった。時間と空間がその一点に集約される、描くという行為、聖なる作品産出という行為の発見がなされなければならなかった。
第Ⅱ章は、「色彩の獲得:大いなる目との邂逅」と題されている。銅版画を放棄した小松が、新たなステージへと移行するきっかけとなった、聖なる場所、聖なる時間に、巨大な一対の目に魅入られたという体験が語られ、小松における色彩の獲得が、「目」を主題とした作品群とともに概観される。神獣たちも、なによりもその「目」の輝きによってその存在感を際立たせている。しかし、そうした神獣たち、特にその「目」は、いまだ表現者を外部から威圧する聖なる対象である。そうした聖なる「目」を、強度に満ちた力を発散する聖なる対象を自分のものとできたとき、いわゆる小松美羽のスタイルが確立される。それが「開かれた「第三の目」:存在の律動」としてまとめられた作品群である。そこでは神獣が内化されるだけでなく、外部に立体化されてもいる。内なる神獣としての「私」と、外なる他者、聖なる他者としての神獣が融通無碍に通底し合う。これまでの小松美羽の画業(造形作品を含む)を代表する一連の作品が集大成されている。しかし、当然のことながら、小松の創造がこの地点で終わるわけではない。小松にマンダラという主題が与えられるとともに、その表現は、表現自体が生まれてくる根源、小松自身が「エンテレヒー」と名づけている生命発生の現場そのものに踏み込んでいこうとしている。
第Ⅳ章「霊性とマンダラ:「大調和」の宇宙」は、そうした小松の現在、現在進行形のマンダラ制作の過程を追体験することができる。一対のマンダラの間に、なぜ黒曜石の二重螺旋が置かれなければならなかったかについては、すでに述べた。注目すべきは、小松がマンダラを描き上げていく過程で生じたと考えられる主題と技法の変容について、である。一対のマンダラは、ともに神獣マンダラである。しかし、そこには具象的な神獣たちの他に、マンダラそのものを成り立たせている、前述した「如来蔵」、さらには「胎蔵」(存在の子宮にして宇宙の子宮)をそのまま図像化したと考えても差し支えないような、いままさにさまざまな機能を分化させようとしている受精卵、生きた受精卵そのものと解することが可能な抽象的な形象の数々がちりばめられている。具象から抽象へ。小松の主題と技法はゆるやかに変容しつつあるようである。しかもその抽象は論理的で冷たいものではない。生命的で温かいものである。そこから森羅万象あらゆるもの、形態にして色彩が生み出されてくるような母なる「卵」のようなものである。そのような抽象を描き切れた表現者はいまだ存在しないであろう。小松は前人未踏の道を歩みつつある。
霊性は二つの相対立する極を、相対立するまま一つに結び合わせる働きであった。したがって、マンダラにも、そうした霊性の論理が貫かれている。小松は、相反する象徴的かつ神話的なモチーフを、マンダラという画面のなかで一つに結び合わせようとする。相対立する神話的な象徴群を構造的に配置する。向かい合わせる。「反対の一致」という原則がすべてに貫かれており、そうした原則は対となるマンダラ自体にも採用されている。小松が描き切ったマンダラは、ある側面から見れば神話的な形象に満ちあふれており、別の側面から見れば、深層心理的な――ユング的な――形象に満ちあふれている。生きた抽象にして生きた象徴でもあるという、矛盾そのものでもある形象群が、きわめて構造的に配置されている。ここでは論理と生命は背馳しない。それどころが両者は入り混じり、融け合う。論理は生命となり、生命は論理となる。マンダラ制作の過程で、おそらくは小松に生じた主題と技法の変容が、そのまま巨大な新作、「エンテレヒー」(生命の自発的な発生)を主題とした連作群と大作「神話は未来形」にそのまま表現されている。
その両者を含んだ、小松の最新作が集められたのが第Ⅴ章、「未来形の神話たち:抽象と象徴の冒険」である。そこには、これまで小松を導いてきたモチーフ、「目」そして神獣たちが、鮮やかな色彩、躍り上がり戯れ合うようなダイナミックな形態をもって、あらためて登場するとともに、これまでほとんど描かれてこなかった抽象的な図形たち、やはり論理的で冷たい図形たちではなく、生命的で温かい図形たちが、胎児状のモチーフと重なり合い、融け合いながら、出現している。特に「神話は未来形」には、「目」や神獣などとともに、そうした図形たち、胎児たち、受精卵たちが一堂に会し、圧巻である。
小松美羽は、自身の身体を、生命生成の「場」そのものとしながら、作品生成の「場」そのものに立ち続け、制作という新たな生命の産出そのものを執り行っている。果たして、小松のそのような営為を芸術という視点からのみ考えることは正当なことなのだろうか。ある意味において、それは宗教行為そのものであるとともに、生々しい比喩を使うことを許してもらうならば、生殖行為そのものでもあるだろう。宗教的な信仰と芸術作品の制作、そして生命の産出。遠い過去、黒曜石を削り出し、獣を追って移動を重ねていた原型的な人間たちにとって、それらは同一の営為であったはずだ。さらには遠い未来、もしかしたらその外側すなわち宇宙から地球をながめながら暮らす新たな人間たちにとっても、まったく同一ではないであろうが、しかしそれでも同様の重なりを考えることは可能であろう。
小松美羽という固有でありながら普遍を志向している特異な表現者、そうした特異な存在が創り出す――産出しつつある――特異な作品群は、世界が文字通り一つとなった近代という時代に生まれ、東西が一つに融合したその近代のもつ可能性を十全に体現しながらも、表現の遠い過去にして遠い未来、そうした遠い表現が描くべき、来るべき抽象にして象徴の在り方、あるいは、そうした表現を可能にする、来るべき霊性の在り方を、その作品群を前にした鑑賞者――それがたとえ誰であろうとも――にとって思考させずにはいられなくなる強烈な力を発散し続けている。